伝え手

一瞬の美を追求する陶芸家が描く、400年先の豊かな暮らし─山田翔太氏

2021.05.25
By 大崎 博之

2021.05.25
By 大崎 博之

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写真提供:Yamashou
Text by 大崎博之


この物語を私は、一体どこから話し始めたらいいのだろうか。

お茶と器の歴史を、もしくは戦国時代に武士が眺めた景色を、私はこれから現代に写し取ろうと試みている。それなのに蘇るのは、20代の頃に夢中になっていたHIPHOPダンスの記憶だった。

「踊りのキレはいいのに、重みが感じられないんだよね」

彼は地元では有名なダンサーで、そのパフォーマンスはとても優秀だった。その彼が「重みがない」と指摘されたのだ。あまりに衝撃的なその光景は、私の脳裏に深く刻みつけられた。

似たようなシーンは、生きているうちに何度か体験するものかもしれない。

「君の考えは浅い」「その行動は安易じゃないか?」と、私も幾度となく問われてきた。投げかけられるたびに苦悩したことは、一度や二度じゃない。

同じように自分を見つめる一人の青年がいた。

「君が作る茶器には、“佇まい” がないんだよ」

その日、目の前に現れた青年は、私をひどく混乱させた。

自身を陶芸家だと語り、アスリートでもあると語り、さらには「ビジネスとの融合を試みる者だ」というのだ。一体どういうことなのか?

話を伺うと「陶芸」の世界には15歳で足を踏み入れたという。14歳でラグビーを始め、現在はトライアスロンに取り組んでいるらしい。その関係からアスリートとのつながりも深いそうだ。興味深いことに、アーティストとして企業にも所属しているという。

そして「伝え手」としての彼は、フランスを中心に世界へ日本文化を発信している。

マルセイユ1&7区役所にて個展開催の様子(写真提供:Yamashou)

国内においては、遠州茶道宗家13世家元次女の小堀宗翔(こぼり・そうしょう)氏と、スポーツと茶道、器の融合をテーマにしたイベントなどを開催。

小堀氏は元ラクロス日本代表。アスリート同士が見ている「日本文化の景色」に思わず興味をそそられる。

銀座三越にてトークショーをする小堀宗翔氏(左)とアスリート陶芸家の山田翔太氏(右)の様子(写真提供:Yamashou)

日本国内だけでなく世界をも駆け巡る自身の姿を、彼はこう定義していた。「作り手ではなく “伝え手” である」と。

その語る様子は、ただ器を販売するという概念からはほど遠い。「鑑賞と美意識の世界」を届ける伝道師のように思えた。

「今日の取材を本当に楽しみにしていたんです。アマチュアだけが持つピュアなエネルギーについて語られた内容が、まさに自分そのものだと思って」

私がSNSに投稿した文章を読み、彼はとても共感してくれたようだった。

『プロフェッショナル仕事の流儀』などの情報系ドキュメンタリー番組を制作してきた小国士朗さんの言葉に「社会を変えるのは熱狂する素人だ」という表現があるらしく、それと重なるものがあったそうだ。

私はこれから、インタビューの内容をお届けする。

事前打ち合わせをすること1時間、音声SNS『Clubhouse』で語らうこと2時間。そしてZoom取材の本番当日に、さらに1時間。

多くの言葉を受け取ったなかで、彼が100年、200年、時には400年を超える、悠久の視点をもっていることが印象的だった。この物語もまた、もしかしたら長い歴史のどこかで、だれかの琴線に触れるのかもしれない。

そう考えると、世界がちょっとだけ愛おしく思えた。

初めての個展開催で起きた「予期せぬ完売」

(写真提供:Yamashou)

──今回の記事はかなり濃い内容になりそうです。というのも、お茶の世界にみる「精神性」に関心があると私が発言したことから、今回の企画がスタートしたので。

日本の伝統に関するメディアを立ち上げた編集長だと知人から聞いていたので、一体どういったところに興味をもったのか、純粋に興味があったんですよね。

そうしたら「武士は茶室で何を感じていたのか」などの精神性に触れるような、本質的なことを話すので、これは話が合いそうだなと思ったんです。私は「アスリート陶芸家」という肩書の元、そこに共通する「美意識」を追求しています。

私だけでなくほかのアスリートも茶道を始めたら、いったいどんなことが起こるだろうと興味があるんです。お茶室でのコミュニケーション、器を通したコミュニケーションによって、感覚がさらに研ぎ澄まされるはずですから。

山田翔太(やまだ・しょうた)さん。1988年千葉県生まれ。高校で陶芸を始め、東京都内にて作陶。10年間のラグビー経験を経て、現在はトライアスロン選手として大会に出場している。器にアスリートの美意識を取り入れた「アスリート陶芸家」として東京とフランスを拠点に活動。アパレルブランドのlululemon Ambassodorとしても活動している。(写真提供:Yamashou)

──アスリート陶芸家として活動しているわけですが、陶芸の世界で活動しようと決意したのはいつ頃だったんですか?

2018年10月に、自分の個展を開いたことがキッカケです。

そもそも陶芸に興味をもったのは高校の選択授業でしたね。のめり込むうちに賞をいただけるまでになりました。珍しいですよね、学校で「陶芸」を勉強するなんて。それから独学で作品を作り続けてきました。

転機は周囲からの応援でした。「そろそろ個展を開いてもいいんじゃない?」と背中を押してくれる人が増えてきて、自分の心にも火がついたんです。それまでは値段をつけて公表するなんて滅相もないと思うぐらい個展開催に消極的でした。

──初めての個展、手応えはいかがでしたか?

それが、初日にすべて売れてしまったんです。

開催は2DAYSの予定で、作品も100点ほど用意していました。それが完売です。このような事態は想定していなかったので、2日目は予約販売に切り替えての対応でした。それでも80点ほどが売れてしまい正直驚きました。

でも、これには理由があります。

1つは低めの価格設定だったこと。一点モノの器を数千円で販売することは、後にも先にもあの日だけだと思います(苦笑)

もう1つはアスリート仲間を含め、友だち100人以上が個展に足を運んでくれたこと。これが売れた理由でもあり、現在に至る活動の原動力でもあります。

美術館や画廊って、興味がなければ行く機会があまりないですよね。それはアスリートも同じこと。あの個展が「工芸品に初めて触れた日」だった人も多かったと思います。

器ってこういう風にみるんだね、と新しい発見をする様子をみて「工芸品の面白さを伝え、その輪を広げる存在になりたい」と考えるようになりました。

──初めての個展で「予期せぬ完売」があったわけですが、その次はどんなアクションを起こされたんですか?

2019年に遠州茶道宗家の次女である小堀宗翔さんに機会をいただき、銀座三越で展示を行いました。彼女が選ぶ「お茶道具セレクト」のメインとして、私の陶芸作品を紹介してくれたんです。

宗翔さん自身もアスリートとしての顔を持っているので、感覚や価値観、美意識が似ていたのかもしれません。イベントは大成功で、この展示でも私の作品は9割以上がお客様のお手元に届きました。

現在も半年に一回のペースで展示会は続けています。

(写真提供:Yamashou)

──その後、なんとフランスでも個展を開きます。どんな経緯があったのでしょうか?

これも偶然ですが、フランス人の友人から「来週、マルセイユで個展をやるんだけど、翔太も出す?」と突然誘われたんです。2019年のことでした。

当時は「誘われたら断らない」「何にでもYESを出す」の精神で、活動にスピード感をもって取り組んでいた時期でしたので、迷うことなくOKを出しました。

ただ、問題がなかったわけではありません。

考えてみれば「フランスで」「来週開催」なので、作品を輸送するのが間に合わないわけです。そこで私はスーツケースに作品を詰め込み、自ら現地に行くという手段を取りました。

──フランスでの評価はいかがでしたか?

非常に好評でした。というのも「現地に行く日本人作家」が私だけだったんです。当然注目を浴びますし、その場で「お茶会」を開いたことでより会場が盛り上がりました。

お茶の立て方、歴史、飲み方を伝えつつ「体験」もしてもらったんです。「モノ」だけでなく「コト(※)」も届けると、作品もより売れるようになると気づいた瞬間でした。

この経験を活かし日本で展示をする際にも、作家がそこにいることの意味を大切にするようにしました。後述しますが「伝え方」で作品の見方は大きく変わるんです。

(※)一般的な物品を購入する「モノ消費」に対し、「事」(やる事・する事、出来事)つまり「体験」にお金を使う消費行為

「一点モノ」の作品が暮らしを豊かにする理由

(写真提供:Yamashou)

──工芸品の「面白さ」を伝えたいと話がありましたが、魅力ではなく「面白さ」と表現していることに興味を持ちました。

伝えたいのは「作家の顔が浮かぶ面白さ」なんです。

私の場合、日々の生活で使う器の8割は自分で作ったもの。残りの2割はほかの作家さんが作ったものを使っています。しかも必ず会いにいって会話をするんです。すると器を取り出すたびに必ず作家さんの「顔」が浮かんできます。

セレクトショップなどへ行くと、作家さんの名前や顔写真が添えられているものもありますよね。でも私にとってそれは、文字や情報でしかない。

きっと私は器を取り出すたびに、顔だけでなく会話の内容やそのときの雰囲気、伝わってきたエネルギーのようなものを感じ取っているのだと思います。

──そのお話を聞いてふと「好きな子からもらったラブレター」をイメージしました。読み返すたびに元気が湧いてくるような。私にそんな経験はないのですが(笑)

近いかもしれませんね。私はそれと同じ感覚を毎朝、お白湯を飲む瞬間も感じているんです。本当にいい意味での中毒性があり、また次を買いたくなる善循環を生むと考えています。

だからこそ、私の個展や展示会へ来て「初めて作家さんが作る一点モノの器を買いました」といってくれるお客様がいらっしゃると、素直に嬉しいんです。だって、絶対に使うたびに私の顔を思い出してくれるじゃないですか。

こういった消費の流れが、最終的に生活の豊かさにつながると思っています。

──そのように考えるようになったキッカケはありますか?

「君の作品には佇まいがないよね」

苦くもありがたい経験ですが、かつてそのように指摘されたことがありました。そのときにすごく考えたんですよ。佇まいって一体なんだろう、それを身につけるためにはどうしたらいいんだろうって。

作品の見た目や「黄金比率」の話じゃないことはわかる。でもじゃあ何なのだろうと。そこで注目したのが「エネルギー」という考え方です。

私はそれを、作家の顔が浮かぶことの「面白さ」と表現しました。器を媒介にして、作家と使い手の間に「エネルギー」の交換が起きているんじゃないかと思うんです。

「佇まいがある」とはつまり、そこに意識が向くということ。

意識が向く理由は、器にエネルギーが宿っていて、それが見えない形で存在しているから、と考えるようになりました。

それもあって私は、日頃からエネルギーを高く保つために好きなことをしたり、エネルギーが高いと感じる人に会いにいったりしているんです。技術を磨くことと同じように、これもまた日々の積み重ねが大切だと思っています。

海外の人はよりシビアにそこを見ている気がしていて。フランスで個展を開くのもそういった背景が関係しています。

(写真提供:Yamashou)

──エネルギーという言葉を聞いて、一点モノや手仕事の品に対するこだわりを感じました。そのあたり実際はどうでしょうか?

一点モノにこだわりはあります。

大量生産によって生み出された「同じ顔」に対して違和感があるんです。

考えてみればこの世界で、雫一滴でも木の葉一枚でも「同じ顔」のものってないはずですよね。それが自然です。つまり「同じ顔」は不自然ということになります。

──難しい問題です。たとえば「お気に入りのぬいぐるみ」があったとして、その多くは工業製品として生まれた「同じ顔」ですよね。

その「お気に入りのぬいぐるみ」には、忘れられない素敵な記憶や思い出があるから特別である、という解釈のお話ですよね。もちろんそれは素晴らしいことですし、価値があります。

つまりそれが一点モノである必要性は絶対ではなくて、最終的に「意識を向けられるかどうか」が大切なんです。逆をいえば「意識を向けられないもの」に囲まれた社会や暮らしを変えていきたいと私は考えているんです。

なんと申しますか、単純に「顔が浮かぶモノに囲まれた暮らし」を私が知ってしまっているからこそ、この体験を味わってほしいと思っているんでしょうね。

一人でも多くの方に「意識を向けられるモノとの暮らし」を届け、それが当たり前の社会にしていきたい。オセロの黒と白をひっくり返すような活動が、私の伝え手としての役目だと考えています。

鑑賞を促し、宿る美意識。そこから生まれる未来とは?

(写真提供:Yamashou)

──お話を伺うなかで「唯一性」を大切にされている印象を受けました。

私の好きな陶芸家に、濱田庄司がいます。彼は釉薬を一瞬にして流し掛けする作風が有名で「一瞬の美」ともいわれています。そこには当然「再現性」がありません。それを知ったとき、再現性のないものを繰り返すアスリートと共通する何かを感じたんです。

ほかにも「不均一」であることも大切にしています。

影響を受けたのは荻須高徳や佐伯祐三といった、フランスで活躍した画家ですね。彼らの描いた絵の景色を自分の目で見てみたいという想いから、フランスに通い詰めていたこともありました。

彼らに共通する師匠のモーリス・ド・ヴラマンクは「アカデミックな絵は止めろ」と指導していたそうです。私はそこにとても共感したんですよね。

自然な風合いと、二つとして同じものがない「不均一」な表現が、私の美意識の形成に大きく関係していると思っています。

──3名の画家の方々をWebで画像検索したのですが、山田翔太さんの陶芸作品とどこか似たものを不思議と感じますね。

きっと私は、器やお茶道具を「キャンバス」に見立て、そこに荻須高徳や佐伯祐三、ヴラマンクを投影しているんでしょうね。

面白いエピソードがあるのですが、ある日私の展示会場に荻須高徳の絵を飾ったことがあるんです。すると陶芸作品の説明がとてもしやすくなったんです。

おそらく「鑑賞」を促したのだと思います。

湯飲みや茶碗を日常的に「鑑賞」することは少ないと思いますが、絵画は誰にとっても「鑑賞」の目で眺めますよね。それも無意識に。

つまり、先に絵画作品をみてもらうことで「鑑賞モード」になり、その意識のまま陶芸作品をみていただくことで、器を作品としてみることができるのだと思います。

例えばこの茶碗をみて、どんなイメージが浮かびますか?

(写真提供:Yamashou)

これが「鑑賞」です。

答えは一人ひとりの「美意識」によって変わると思っています。そして私はその「美意識」に興味があるんです。

作品を制作する際には、具体と抽象の間であることを意識しています。100人が100人「富士山」と答えるものでもなく、ましてや100人中1人が「富士山」と見えるようなものもあまり作りません。

抽象度が高くてもいいのですが、全員から「よくわからない」と首を傾げられてもちょっとつまらないので(苦笑)。3人のうち1人が “別の何か” を感じるぐらいの作品を鑑賞してもらうことで、新しい世界を私も知ることができるんです。

正直、自分の「美意識」なんてタカが知れています。

ある日、縁(えん)を大切にするお坊さんのために、円(えん)を描いたお茶碗を渡したことがありました。するとその方はこう言ったんです。

「お茶が入っていた姿をみて、菊の紋様だと思った。飲み干したら、そこに龍の姿がみえた」と。

──人によって、そこに映し出されるものが違うんですね。面白い。

私の経験や価値観においてそれは、紛れもなく「円(えん)」なんです。しかしそのお坊さんが培ってきた世界からは、菊の紋様にも龍にもみえるわけです。

これは一種のフィルターのようなもので、年齢や生き様によって成熟させることができるものなのではと考えています。ここに、私はとても興味があるんです。

冒頭で私は、アスリートが「鑑賞」によって感覚・感性を磨くことで何が起こるのかに興味があるという話をしました。でも考えを突き詰めていくと、私はアスリートたちが陶芸作品を通して「どんな世界を見ているか?」という「美意識」に強い関心があるのかもしれません。

うん……。私がこれから探求したいものごとは、とても基本的なことかもしれませんね。

作家が作る一点モノの面白さを知り、その善循環から生活が豊かになる。同じく「鑑賞」を通して自分の美意識を上げていくことで、モノの扱いがていねいになる。

そういった暮らしの第一歩として、この世界をまだ知らない方々に「届ける」ことが役割であり、私のミッションなんです。

その意味では伝え手ではなく「つなぎ手」が、ふさしい表現かもしれません。

(写真提供:Yamashou)

──最後にお聞きしたいのですが、そのような考えや視点、世界観を持つ「暮し手」が増えたとき、この社会はどのように変わっていくと思われますか?

生活が豊かになっている、ことを願いたいです。自分のやっていることが100年後も微力ながら貢献できていたのなら、それは幸いです。死んだあとのことなので答え合わせはできませんが……。

ただ陶芸家としては、400年先も「誰かにとっての一つ」である作品を生み出したいと思っています。一点一点、その想いを込めて作っています。

茶道の世界には400年以上の歴史があるものもあります。戦争などのリスクを乗り越え、金継ぎされながら大切にされてきたわけです。私の作った器を買ってくれた人がおじいちゃんになり、それを孫に受け継がれて100年。これをあと4回繰り返すなんて奇跡ですよね。

でも魂が込められていないものを100点作るよりも、魂を込めた10点を作るほうが受け継がれる確率は上がると考えているんです。絶対に手は抜けません。美術館などに飾られるわけではなく、顔や名前、想いが伝わり続ける400年ですからね。

お世話になっている「遠州流」は家元なので、歴史ある古典の名品がたくさんあります。そこで出会った400年前の作品をみて「佇まいがある」と私は感じました。

終わりのない世界ですし、私はまだまだ未熟です。今後もこの尽きることのない探求は続くと思います。

400年先の、誰かにとっての一つを作るために。

Born in 1988 in Chiba.I started pottery at high school and made pottery at a joint workshop in Tokyo.Taking advantage of 10-year experience as a rugby player, I currently participate in a triathlon.While working as an office worker, I work in Tokyo and France as an “Athlete Ceramist”, incorporating aesthetic sense of athletes into the pottery.
 

Writer

大崎博之

働き方、生き方のテーマで思想や哲学を追求することに興味があり、これまでに会社員やフリーランス、個人事業から法人設立までさまざまな働き方に自ら挑戦。株式会社ソレナ代表。プライベートでは2児の父でもある。

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