写真提供:株式会社季縁
Text by 岡山美和
中心に家紋が描かれた濃紺のカバー、油単(ゆたん)が掛けられているのは、祖母が私に贈ってくれた桐箪笥だ。大きな扉を開くと、私のサイズに仕立てられた着物が整然と納められている。
祖母が母に贈ったものを、今度は母が私のために仕立て直してくれたものだ。
そしてもう一つ、結婚の際に義理の両親が私のために仕立ててくれた訪問着も、桐箪笥の中で一緒に眠っている。
私にとってこの桐箪笥は、祖先からつながる縦糸と、いまの時代に縁組してつながった横糸を結びつけてくれる大切なものなのだ。
結婚して何度も引越しをした。その度に大切に持って行った箪笥。
ただ、その扉を開けて中の着物に袖を通したことは、数えるほどしかない……。
もう少し子どもたちが大きくなって、もう少し落ち着いたら、その扉を開けて着物を日常的に身に纏おう。そう思っていた矢先、届いたのは、主人の海外赴任の知らせ。
ああ、海外への引越しに、この大きな桐箪笥はさすがに持っていけない。この先また何年もこの扉を開けることはできないのだろうか……。
もっと早く身に纏っていたら。
ほんの少しの後悔と焦りが出てきていた。
*
2022年のある日、SNS上でとある女性が、黒のロングドレスを身に纏ってパーティーに出席している写真が目にとまった。シンプルかつ美しい縦ラインがとても印象的なドレスだった。彼女の投稿には、着物の柄を彷彿とさせるデザインのドレスの写真と共に、そのドレスを製作した会社のことが綴られていた。
着物の文化的価値を再認識し、新たな活用方法を展開するため、株式投資型のクラウドファンディングに挑戦しているのだという。
和柄のドレス。その和洋が絶妙に組み合わさったデザインが気になって調べたところ、そのドレスが黒留袖を仕立て直して作られたものだと知った。
「もしかしたら私の桐箪笥の中にある着物も、日常的に身に纏ったとしても不自然じゃない、美しいドレスやワンピースにできるのかな?」
“着物をオートクチュールのドレスやワンピースにアップサイクルする” と、独自の価値提案を掲げるこちらのサービスは、千年の歴史がある京都に本社を構える、株式会社季縁という会社が展開していることもわかった。
クラウドファンディングの募集期間も1週間という短さでありながら、最終的には83人の投資家から目標金額の約2倍、1480万円の資金を調達していた。
「着物の生地で作ったドレスって、どんなものなんだろう?」
このドレスに興味を持ったものの、地方に住む私にとっては京都にあるショールームや東京での個別相談会まで行くのはハードルが高い。何かいい方法はないかと探していたとき、公式LINEでのやり取りができることがわかった。
問い合わせをすると、ていねいなやりとりの後、いくつかの試着品が送られてきた。
ほどなくして届いた着物のドレス。袖を通した瞬間、
「あれ? 着物の生地ってこんなに軽くて、肌触りもいいんだ…!?」と驚きに包まれた。身体への負担がまったくなく、いつまでも着ていられる心地良さだった。
これまで出会ったことのない試着体験に、一体どんな人が立ち上げた会社なのだろうと、私は創業者にも興味がわいてきた。
インターネットで調べてみると、季縁は共同代表制で、そのうちの一人が北川淑恵さんという京都出身の女性だということもわかった。伝統産業の衰退に危機感を感じ、“伝統を現代につなぐ” という想いで事業を立ち上げたのだという。
この事業は社会的にも高く評価され、第10回京都女性起業家賞(アントレプレナー賞)京都信用金庫賞を受賞している。ほかにもテレビやラジオ、雑誌などのメディアでも多数取り上げられていて、世の中の関心を集めている事業だと容易に想像ができた。
一度だけ、ラジオに登場した北川さんの声を聴いたことがある。一言一言をていねいに選び取りながら話す様子が伝わり、私は「きっと言葉に宿る力を知っている人なんだろうな」と思った。
そんな彼女の活動の根源にある想いは、彼女が持つ扉の中にある引き出しの中は、一体どんな世界が広がっているのだろう?
着物を通して文化をつなぐ
──「季縁」という社名は「世界中のご縁で結ばれた方たちに日本の文化を伝えていきたい」という想いに由来している。ホームページにはそう記載がありましたが、数ある日本の文化の中から “着物” を事業の根幹に選んだのはなぜでしょうか?
染色の職人をしていた、高校時代の先輩から「助けてほしい」と連絡があったことがきっかけです。皇室の方々のお着物も誂えたこともある、高い技術を持つ方だったので、一体なにごとだろうと驚いたのを覚えています。
私はもともと絵付けの技術提供をする仕事をしていたのですが、インバウンドの盛り上がりに合わせてSNS運用などの情報発信も当時はお手伝いをしていたんです。そのため先輩からの連絡も「きっとプロモーション関係の依頼かな?」という程度に最初は受け取っていました。
しかし、よくよく話を聞いてみると「このままでは産業が衰退してしまう」という深刻な相談内容だったのです。
それからというもの、私は伝統産業の現状を、数字的な根拠やデータと照らし合わせながら詳しく調べるようになりました。その過程で、いつの間にか使命感のようなものが芽生え始めたんです。
「着物産業に対して、私が手伝えることは何だろう?」
考え抜いた結果、生まれたのが現在の「季縁」という会社の事業です。
──着物産業をつなぐ方法として、着物を着るのではなく「形を変えてアップサイクルする」という仕組みを考えたのはなぜでしょうか?
まず前提として、「文化は生きている私たちの生活と分離されたものではなく、日常生活に内包されているもの」という私たちの考え方があります。
自分たちの生活を顧みたときに、椅子に座る生活が中心となり、一軒家ではないマンションが増えてきている現代の生活環境において、着物をもう一度日常的に着る文化にしようというのは、違和感のある提案だと思うんです。
だからこそ、着物をもう一度着るのではなく、形を変えて日常に寄り添うドレスやワンピースにしようと思いました。
──着物をドレスやワンピースなどにアップサイクルする方法として、オートクチュールという言葉が使われています。その背景を教えてください。
受注生産・お仕立てのお洋服のことを「オートクチュール」と表現しています。
日本の着物文化の素晴らしさは、受注があったときに生産する無駄のない形「お仕立て品」にあると思っています。
もともと着物は、相手を想ってお仕立てしていたものなんですよね。
たとえば「一年後のお茶会にお迎えしたい方がいる。雪国の出身だから、このお花はきっと見たことがないはず。でもその頃にこのお花が咲いているかどうかわからないから、代わりに着物におしつらえしよう」というように。
お茶やお花と同様に、日本文化ってそういうものだと思うんです。
季縁にお客様がお持ち込みされるお着物も、苗字に松の字がつくからと松の柄があしらわれてあったり、クリスチャンだったのかなと想像させる十字架の柄が密かに刺繍されたものもあります。そういうお着物に触れるたびに、生地自体にそれぞれのストーリーや人の想いが込められていると感じます。
現代の大量生産・大量消費へのアンチテーゼではないですが、その人・その時に合わせて受注生産するような社会に、もう一度なればいいなという想いも込めています。
──着物をドレスに変えるといったアップサイクルの取り組みは、時に難しさを感じることもあるのではないでしょうか?
大変だったことは、やはり「着物をドレスに変えるため」の技術面の話です。季縁の事業では、着物をドレスに仕立てるということを、和裁さんではなく洋裁さんにお願いしているからです。
着物は、38センチ×12メートルの一反という生地から直線裁断、直線縫製のみで作られていますが、ドレスを作るためにはカーブにも裁断、縫製する必要があります。しかし、撚糸で作られている着物の生地はカーブにカットすること自体が本当に難しいのです。
実際に、何社にも断られた経験があり、現在縫製を請け負っていただいている全国の縫製工場さんにはとても高い技術を提供していただいています。
そういう意味では、異分野の方に着物の構造やテクニック・ルールをシェアする技術の連携、カルチャーのトランスフォーメーションを進めるのは簡単なことではありませんでした。
一方で、考え方や価値観の部分では、意外だったこともあります。
私は当初、これまで伝統を受け継いでこられた京都の呉服屋さん・職人さんたちにはこの事業を受け入れてもらえないだろうと考えていました。なぜなら私たちのサービスは、着物をパーツごとに切り取り、ドレスに仕立てる取り組みだからです。批判があってもおかしくないと考えていました。
しかし実際は、私たちの事業が批判されることはなく、むしろ応援してくださっているようにも感じています。
それだけ皆さんも産業の衰退を目の当たりにしていて、新しい何かを始めなければいけないと危機感があったのかもしれません。
──ホームページの最後に、「着物が箪笥の中で眠っていませんか?どうか捨てずに、、、箪笥に眠らせたままでしたら、ドレスに変えて、そして次の世代に繋いでください。」と語りかけてくるようなメッセージが印象的でした。
季縁の事業は “着物をお洋服に変える” という新しい文化を作るという気持ちでさせていただいています。
そのためにもまずは、日本の中で「着物をお洋服に仕立て直すことができるんだ」という認知を広げることが必要になってきます。
方法はいろいろありますが、何よりもまずは人の心を動かすことが重要です。そのために有効な方法の一つは、海外の有名な人たちに認めてもらうことだと考えています。
たとえば、海外のアーティストたちが洋服の内側に着物の柄を入れていたり、着物をジャケットのように羽織っている様子がメディアに登場するなどです。
そういう意味で、私自身も海外の方とお会いするときは、できるだけ着物をプレゼントするようにしています。
資本主義の中で文化を豊かにする
──ブランディングの目的で海外に目を向けているわけですね。事業計画としては順調なのでしょうか?
認知を広げるという面では、欧米諸国から逆輸入する形で日本にプロモーションする方法は着実に機能していると感じます。
一方で私たちは海外市場のシェアを獲得するために、中東に力を入れている側面もあります。着物をアップサイクルして、アラブ諸国の伝統衣装「アバヤ」として販売したことがあったのですが、それはとても好評でした。
メッカに近い中東のイスラム教徒の方々は信仰心の強い方が多く、宗教衣装であるアバヤを365日着ています。
黒いアバヤを着ているイメージしかない方も多いと思うのですが、実際現地に行ってみると全然そんなことはなく、日常生活ではカラフルなアバヤを着ているケースもよくあります。
365日のうち、どこか1日で日本の着物をもとにデザインしたアバヤがあってもいいよねという認識が広がり、ローカライズできたことが好評につながったと思っています。
──インタビューの最初に仰った部分「生活の中に文化がある」という考え方の部分にもつながりますね。季縁での事業を通じて、10年後、100年後の社会がどのように変化していることを望まれていますか?
季縁の事業・サービスだけでなく、私個人の考え方にも共通していることは、日本の伝統文化を日本中の人たちに触れ合い体感してもらいたいという願いです。
そういう意味で10年後の理想は、
「日本人が日本の文化を体感し、愛している社会」です。
それを実現させるためには、「資本主義の中に文化が存在している」という構造の問題にアプローチする必要があります。
パリやニューヨークをみると、経済と文化が同じ街から発信されていることに気づきます。しかし日本の場合は「経済=東京・文化=京都」のように分離してしまっているのです。
経済を追えば文化が衰退し、文化を追えば経済が衰退する。やや極端な言い回しかもしれませんが、少なからずそういった要素が日本の「構造的な問題」として浮かび上がっているように感じています。
日本の文化は、「人は自然に生かされている」という概念に根付いていると私は考えています。その感覚に、グローバルで活躍する日本のビジネスパーソンが触れていくことが、いまの日本にとって重要なことではないでしょうか。
その先にはもしかしたら、日本の文化が世界を包み込み、10年後か100年後か、未来のいつかに「世界平和」をもたらしてくれるような、そんな気がしているんです。
──とても素敵なメッセージを最後にありがとうございました。締めくくりに、読者の方にも「私たちがいまできること」を紹介していただければと思います。
ぜひ、身近な日本文化に触れてみてください。
私たちのところにも、お客様からこんな嬉しい感想が届いたことがあります。
「着物をドレスに変えるため、おばあちゃんのうちや親戚のうちに行って、箪笥の中を見させてもらいました。そのときに、この着物がどういう背景で作られたのかとか、色々なエピソードを聞かせてもらうことができました。これまでにない家族とのコミュニケーションができた気がします」
これこそが文化だと思うんですよね。
一つのものを、人と人のコミュニケーションをもってつないでいる。ものがつながっていくことだけでなく、気持ちもつながっていく。
これが豊かな文化が生まれるきっかけになるんじゃないかと、私は真剣に思っているんです。
そういう意味で、箪笥の中の着物を開けるということも、身近な日本文化に触れる一つの方法だと思います。何も知らずに、受け継がれることなく捨てられるのはもったいない。その一部だけでも残せるような状態にできればと思っています。
文化は、私たち一人ひとりの心を豊かにしてくれます。
季縁の事業を通じて、日本の豊かさ・文化の豊かさというのを身近に感じることで、心が豊かになってもらえたらと思います。