写真提供:山城屋酒造株式会社
Text by 紗矢香
ボトルのフタを開けた瞬間、鼻を通り抜けた香り。目には見えないけど「あざやかな香り」という表現がぴったりだと思う。心身の疲れを静かに吹き飛ばしてくれる、わずかな風のような心地よさに、一瞬で惹きつけられてしまった。
華やいだ香りで忘れかけていた。これはお酒だということを。さらりとした舌触りで飲みやすいけれど、喉元過ぎればじわっと熱くなって、一口飲めばすぐにお酒だと思い起こされる。飲み干したあとに、ほんのりと甘みのような味がした。この甘味は何の甘味だろう?優しい味になぜか懐かしさを感じて、まだ余韻に浸っていられた。
私はグルメリポーターではないので、うまく味を伝えることはできていないのかもしれない。ただ、一つ言えるのは、何か “特別感” があるということ。
香りで魅せるそのお酒は、付き合いとして飲むものではなく「これが飲みたい」と選びとりたいお酒。そして、「これがいいよ」と誰かにプレゼントしたくなるお酒だ。そんなお酒に巡り会えた多幸感に包まれて、今夜はもう一杯だけ楽しもうと思った。
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その名は『Princess』。見た目はまるでシャンパンボトルのような日本酒を生み出したのは、山城屋酒造代表取締役の宮﨑朋香さんだ。山城屋酒造は江戸時代から続く老舗で、400年の歴史がある。
いっとき仕込み水の水質悪化でほかの酒造へ委託製造された時期もあったそうだが、朋香さんの弟である宮﨑展一さんの強い想いで酒造りが少しずつ再開されることとなった。しかし、これからという矢先、展一さんが病気で亡くなってしまったのだ。
「お前が継げ」と父親から予告なしに命じられ、右も左もわからないまま朋香さんは家業を継ぐこととなった。「400年の歴史を自分が閉じるわけにはいかない。ご先祖様に申し訳ない」と、朋香さんは戸惑いながらも覚悟を決めた。
父親からは何も教えてもらえなくても、辞める選択肢はなかった。とはいっても、初めて参加した新酒発表会ではお客様に質問されても何も答えられず、悔しい想いをしたそうだ。そもそも朋香さんは、家業を継ぐまでは日本酒を飲む機会があまりなく、むしろ苦手だったという。
もちろん、朋香さんが家業を継ぐにあたって好き嫌いを言っている場合ではなかったことはあきらかだ。ただ、「好きこそ物の上手なれ」という言葉があるように、何かを習得するためにはやっぱり好きだからこそどんどん吸収できるものがあるだろうし、新しいアイデアも生まれやすいのではないだろうか。
どうやら、そういうわけでもないらしい。朋香さんのお話を聞いていると、私の浅はかな前提は覆った。ひょっとすると、朋香さんが日本酒のことが苦手でなければ今のPrincessは生まれなかったのかもしれない。
「日本酒が苦手」に真正面から向き合った日々が、新しいお酒を生み出したのではないだろうか。
地元愛と家族愛でつながれた、山城屋酒造の日本酒
──突然家業を継ぐことになり、最初はわからないことだらけだったとのことですが、日本酒のことや酒造りはどのように覚えていったのでしょうか?
日本酒のことをお客様にお話するときは、1から自分の言葉で語れる何かが必要だと強く感じたので、まずは田植えから始めてみることしました。生産者の想いを肌で感じ取ることが大切だと思っています。原材料のことや仕込みのことなどは現場で覚えていきました。
最初の1年目はわけがわからず、「とにかくやる」の精神でしたね。2年目の新酒発表会では酒米のことや酒造りの工程についてお客様と少しずつ話せるようになっていました。実際に私自身も体験しているからこそ、お客様が説明に納得してくださっているのが伝わります。
あとは山口県の「よろず支援拠点」という全国に設置されている国の中小企業向け経営相談所で、経営のことや商品開発についてプロフェッショナルな専門家のアドバイスを受けられることを知り、コーディネーターの方に相談しながら進めていました。いろんな方のお力添えがあって今があると思っています。
──山城屋酒造のお酒は山口産ですが、朋香さんご自身が山口産にこだわる理由についてお聞きしたいです。
先代の弟が復活させた『鴻城乃誉(こうじょうのほまれ)』という日本酒の原材料は山口産なので、弟の想いも汲んでいます。山口市の米どころである阿東地域の山田錦で、弟が交渉した農家さんの酒米を今でも使っています。
山田錦は酒米の最高峰と言われ、しかもうちで使用しているのは等級がいいものです。そんな山田錦を100%使って生産していることを誇りに思います。
うちが使っている山田錦の大きな特徴は、「心白(しんぱく)が崩れにくいこと」。吟醸酒や大吟醸酒といった日本酒をつくるときは、すっきりした味わいにするために米の中心部に当たる心白まで削り出してタンパク質や脂質を取り除きます。心白が崩れてしまうと味に影響が出てしまうので、崩れにくいことは重要です。
そして、水は山口三代名水の一つである山口大神宮の伏流水です。実は日本酒を造る水にしては珍しく、この水は軟水なんです。軟水だと、日本酒造りに欠かせない酵母菌が育ちにくいと言われているのですが、現代は温度管理の設備がしっかりしているのでその辺りの問題はクリアになっています。
原材料の水も米も山口産なので、うちのお酒が山口市のアピールにつながればいいなと思っています。山口市は歴史ある街。家の近くに枕流亭(ちんりゅうてい)という建物があるのですが、そこは西郷隆盛、大久保利通、小松帯刀らが倒幕のために密談を重ねたと言われている場所です。
山城屋酒造のお酒を飲んでいると「ひょっとすると、明治の志士たちも今を生きる私たちと同じお米とお水で造られた日本酒を取り交していたかもしれない」と、ロマンが広がります。
“好きではなかった”から生まれた純米大吟醸酒Princess
──家業を継ぐ前は日本酒が苦手だったとお聞きして、びっくりしました(笑)。今はいかがでしょうか? 家業を継ぐ前と後で日本酒のイメージは変わりましたか?
変わりましたね。もともと日本酒を嗜むことが少なかったですし、どちらかと言えばお酒の中でも日本酒は手に取りづらいものでした。印象が変わるきっかけの一つが純米大吟醸酒 Princessの開発です。
家業を継いで1年目の頃に「経営革新的なことをやってみない?」と言われ、本当に何もわからない状態から日本酒のプロデュースをすることになりました。どうせやるなら、私のような女性にも手に取りやすくて飲みやすい日本酒があればと思ってつくったのがPrincessです。
パッケージは、上品で綺麗なイメージのピンクゴールドで、女性が手に取りたくなるようなデザインにしています。イベントの試飲で「これはワインですか?」とPrincessに興味を持ってくださる女性は多いです。「日本酒です」と答えるとみなさんに驚かれます。
私自身、Princessで日本酒を飲む機会が増えました。日本酒はそのまま飲んでいただくとお酒のよさをわかってもらえるとは思うのですが、苦手なら何かで割って飲んでみてもいいと思うんですよ。Princessがきっかけで他の日本酒も飲んでみたいと思っていただけたら嬉しいですね。
──Princessの味はどのようなプロセスでゴーサインを出されたのか気になりました。日本酒が苦手だったのであれば、判断するのは難しかったですか?
日本酒が苦手な私が「美味しいな」と飲めたらそれでいいと思っています。自分が飲めれば他の苦手な方も飲めるはずだと。けっこう自分本位です(笑)。
味はできあがってみないとわからないのでギャンブルのようなものですが、味の調整は杜氏と呼ばれる日本酒造りの職人さんに相談していました。Princessは特に香りを重要視していたので、その辺りも杜氏さんと何度も会話しながらすり合わせしましたね。
できあがりを最初に飲んだとき、「あ、美味しい」と思える仕上がりになって感慨深いものがありました。思い通りの味になったと思います。
大吟醸はフルーティな香りでスッキリした味わいにするために酒米の磨き(酒米を削ること)を強くすることが多いですが、Princessは磨きを45%として、後味にお米の旨味も感じていただけるように仕上げています。やっぱり日本酒のよさはお米の味なのでそこもちゃんと残しています。
先代の弟と長男の「架け橋」として日本酒の魅力を伝える
──山城屋酒造さんはレンタルスペースも運営されていて、そこで日本酒に絡めたイベントを開催されているそうですね。さまざまなチャレンジをされていますが、今後の展望についてお聞かせください。
山口産のお酒と山口産の食べ物のコラボで山口市をアピールしていきたいです。日本酒と食べ物のペアリングには面白い発見があります。
コロナ禍がきっかけで、お家でお酒を楽しんでいただけるよう、Instagramに日本酒に合うお料理の写真をアップするようになりましたが、「え、この組み合わせ?」と思うものがたくさんあるんです。たとえば、辛口の『スギヒメ』という銘柄は意外とあんこと相性がいいんですよ。
あとは、日本酒に限らず酒粕を使っていろんなことができたらと思います。酒粕バックのワークショップをやっているのですが、そういったお酒以外でも関連性を持った取り組みをしていきたいですね。
酒粕は身体によくて何にでも使えます。お酒が飲めない方もいらっしゃるので、そういった方も日本酒の良さを知っていただく機会を増やしていけたらと。日本酒に詳しい先生とのコラボで、日本酒の歴史についても発信予定です。
──最後になりますが、歴史ある山城屋酒造を継がれた朋香さんが次世代に伝えていきたいことは何ですか? 息子さんも酒造りに参加されているのですよね。
私は他業種から全然知らない世界に飛び込んだわけですが、酒造りにもっと力を入れたいと思っていながら社長業もあるのでなかなか酒造り1本というわけにもいきません。
ですが、息子は今大学生で学校が休みの期間に住み込みで仕込みを習い始めて、酒造りに集中的に取り組めています。若い世代は発想が豊かだと思うので、息子にはどんどんチャレンジをしていってほしいですね。
私は先代の弟と息子の架け橋的な立ち位置で、本格的にやっていくのは息子だと思っています。これからいろんな葛藤があるかもしれませんが、酒造りが楽しいと思ってくれていてくれているので、酒造りの楽しさが次の世代、そのまた次の世代へと語り継げたらいいなと思います。
その先で「Princessをつくった人はこんなで──」と思い出してもらえたら、それで私としては十分です。